SSブログ

レールから外れる生き方を選択し始めたパイオニア [つれづれ日記]

林業はIT産業や金融よりもどちらかというとマイナーと感じられる職業である。
実習コースに進む際、面接があるのだが、面接官から林業は危険・キツイ・(賃金が)安い。それでもやっていく覚悟はありますか?といわれた。
この質問にそれぞれの実習生がどのように答えたかは知らないが、私が思うにお金を稼ぎたかったらもっと別の職業を選択していただろう。
しかし、ここに来る人たちはお金ではないモノに価値や生きがいを持って参加してきていると思うのだ。そこには今までの価値から離れた(離れようとしている)動きを感じる。世代間のギャップというか、うーん・・・静かな反逆といった空気感を感じ取れる。
少し長くなるが、説明してみようと思う。
例えるなら、長年抑圧され続けて、夫と話し合うことすら面倒臭くなった妻が、夫を表面上黙ってやり過ごしつつ、密かに仕事と住む場所と弁護士を用意して、準備が整った時点で、ある日突然夫の前から姿を消すようなもの。一番省エネかつ効率的かつ自立的な離婚方法だ。こういう妻は、夫といる間は「何も主張しない」「内向き」な人に見えるが、離婚して夫から解放された途端、本来の自分に戻り、生き生きと自己主張して外向きな人になったりする。つまり、最近の若者の特徴として言われている「何も主張しない」「内向き」は、何も若者に限った特徴ではなく、抑圧されている者に共通する特徴ということだ。そして、えてしてこういう夫は、自分がいかに妻を抑圧していたかについて、全くの無自覚だ。夫に不満をぶつけてみようとするのは、まだマシな状態である。夫がわかってくれたらやり直そうと、まだ希望を持っているのだから。不満すらぶつけず何も言わないのは、より深刻な信頼関係末期状態である。抑圧されすぎた子供には反抗期がなくなる。若者はもう、年長者と話し合うことすら面倒臭い。だから何も言わない。私個人としては、バブルが崩壊して景気が悪くなり、様々な物理的経済的な問題が、下の世代に降りかかってきたことについては、あまり責める気にはなれない。色々と仕方がなかったのだろう。それに、世間が私にとって生きやすい今の価値観になったのは、バブルが崩壊したからでもある。
しかし、自分たちが不安だからといって、その不安を若者にぶつけたり、自分たちがうまくいかない原因を、若者のせいにしないで欲しかった。今の若者世代は、好むと好まざるとに関わらず、この国で生きていく限りは、この国の問題を引き受け、この国を立て直していかなければならない。ならば、それができるだけの、自由で自立した精神を持つ、逞しい若者を育てなければならなかったのだ。なのに、自分たちの精神を一時的に慰撫するために、若者の精神を押し潰してしまったのは、より状況を悪くしてしまったとしか言いようがない。それすらも、人間は弱いのだから、つい自分より弱い者に当たってしまうのだ、仕方がないのだと言うのなら、その結果として、若者世代が年長者に対して何を思うのか、どういう態度を取るのかも、仕方がないと受け入れて頂くしかないだろう。
問題を抱えた親が子供に当り散らし、物理的にも精神的にも子供を「受け皿」にし、その結果、子供の心が親から離れてしまうのも、機能不全家庭にはありがちなことだ。例えば、アルコール依存症の親は、自分が酒を飲んでしまうのは自分の問題なのに、子供に対して「お前が我侭な子供だから、俺は酒を飲まずにはいられないんだ」などと言って、子供のせいにしたりする。個人レベルではともかく、社会全体レベルでの年長者世代の姿とは、このようなものだ。かつて年長者に猛反発した世代は、今やその時代の年長者以上の抑圧者になっている。ということは、今の若者世代も、余程気を付けなければ、将来抑圧者になりかねないということだ。子供のことを理解しようとせず、否定しながら育てると、子供が将来どうなるのか、親に対してどういう行動を取るのかは、目に見えている。一時期の自己満足のために、自分より下の者をダメだと言うのは簡単だが、それで将来困るのは自分自身だということは、既に自分自身が経験してきたことなので、肝に命じておこう。物理的経済的な問題が解決できるかどうかはわからないが、せめて心理的な問題については、「虐待連鎖」を起こさないようにしたいものだ。若者が主張したらしたで「生意気だ」「甘えるな」と言われ、主張しなかったらしなかったで「内向き」「覇気がない」と言われる。このダブルバインドというのもまた、非常に機能不全家庭的だ。この現状に、「どうせ何をやってもダメだって言うんだろ」と言い、閉塞感を感じる若者は多い。だが、逆に考えると、「どうせ何をやってもダメだと言われるんだから、何をやっても良い」ということにならないだろうか。何をやってもやらなくても評価結果が同じなら、そんな評価目線など気にせず、開き直って、自分の好きなこと、やりたいことをやれば良い。機能不全家庭に育った子供は、自分で自分のことを育てていかなければならない。自分が取るべき行動は、親がどう思うかではなく、かといって、親に対してなんでもかんでも反発するのではなく、自分の成長にとって必要かどうかで判断すれば良い。機能不全家庭に育った子供は、親の目線から解放され、開き直った時にその本領を発揮する。今の若者に必要なのは、「連帯の作法」云々の前に、良い意味での開き直りだと思う。
何をやってもダメだと言う人々は、何も言っていないのと同じだ。どうせ何も言っていないのだから、そんな人々のことなど気にせず、好きに生きれば良い。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。